PHILOSO-FISH ふじいの釣りと哲学

関西を拠点とした釣りの記録と、釣りを哲学・心理学・倫理の観点で捉えた考察を紹介します。

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釣りと自分の距離

f:id:fujiiwataru1224:20210125101253j:plain私は自分と釣りとの距離を決めかねていました。

 釣り業界に勤めていましたが、そこから離れ、釣り仲間とも疎遠になりました。

今の自分はとても釣りとは関係のない存在。

 

死ぬほど愛し、あらゆる欲求をはねのけてでもやりたい!

そう思っていた釣り。

 

そんな思いもくすぶり、たまに行く釣りも

「いかに自分が不快な思いをせず、釣りに行って帰る事ができるか」

ばかりを考えていました。

 

このまま自分はどうあるべきか。

誰に何を期待され、何をさせられるのか。

人生は私に何を与えてくれるのか。

 

そんな事ばかり考えていました。

 

 

去年の春、私はパパになりました。

微力ながら私なりに全力で我が子の人生を考えました。

 

今、抱えている

「見えない力に、自分でない誰かに、何かをさせられている使命感」

は子供には味合わせたくない。

「主体的に、自由意志をもって世間に貢献する喜び」

を感じてほしい。

 

私の意思が少しずつ固まり始めました。物の本に書いてあったことを、うろ覚えの頭で思い出しました。

自分の葬式には、どんな弔辞を読まれるか。

我が子は、私の葬儀にどんな言葉を掛けてくれるのだろうか。

妻はどうか。他にどんな人に参列してもらえるのだろうか。

 

私の父は立派であると思っております。尊敬しています。(まだ存命です)

しかし、父の葬儀に来る人に、父が愛する人たちは全て来てくれるだろうか。

 

そんなことを考えた時に、私は決めました。

 

一生釣りに関わり続けよう。

 

人生に何か期待をするのではなく、私が人生に答えよう。

 

自分が社会に貢献できる最善の姿。

胸を張って憚ることなく、みんなに与え続ける姿。

これを子供に見せてあげよう。

 

こんなことを考える毎日です

 

未熟ゆえに、自分の進みたいと思う道はまだまだ変わる可能性もあります。

今は、私が思う最適の解を一生懸命やろうと思います。