私は自分と釣りとの距離を決めかねていました。
釣り業界に勤めていましたが、そこから離れ、釣り仲間とも疎遠になりました。
今の自分はとても釣りとは関係のない存在。
死ぬほど愛し、あらゆる欲求をはねのけてでもやりたい!
そう思っていた釣り。
そんな思いもくすぶり、たまに行く釣りも
「いかに自分が不快な思いをせず、釣りに行って帰る事ができるか」
ばかりを考えていました。
このまま自分はどうあるべきか。
誰に何を期待され、何をさせられるのか。
人生は私に何を与えてくれるのか。
そんな事ばかり考えていました。
去年の春、私はパパになりました。
微力ながら私なりに全力で我が子の人生を考えました。
今、抱えている
「見えない力に、自分でない誰かに、何かをさせられている使命感」
は子供には味合わせたくない。
「主体的に、自由意志をもって世間に貢献する喜び」
を感じてほしい。
私の意思が少しずつ固まり始めました。物の本に書いてあったことを、うろ覚えの頭で思い出しました。
自分の葬式には、どんな弔辞を読まれるか。
我が子は、私の葬儀にどんな言葉を掛けてくれるのだろうか。
妻はどうか。他にどんな人に参列してもらえるのだろうか。
私の父は立派であると思っております。尊敬しています。(まだ存命です)
しかし、父の葬儀に来る人に、父が愛する人たちは全て来てくれるだろうか。
そんなことを考えた時に、私は決めました。
一生釣りに関わり続けよう。
人生に何か期待をするのではなく、私が人生に答えよう。
自分が社会に貢献できる最善の姿。
胸を張って憚ることなく、みんなに与え続ける姿。
これを子供に見せてあげよう。
こんなことを考える毎日です
未熟ゆえに、自分の進みたいと思う道はまだまだ変わる可能性もあります。
今は、私が思う最適の解を一生懸命やろうと思います。