PHILOSO-FISH ふじいの釣りと哲学

関西を拠点とした釣りの記録と、釣りを哲学・心理学・倫理の観点で捉えた考察を紹介します。

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マナー違反する人は「悪」か

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私の釣りのマナーに対する考え方に影響を与えた原体験。

 


私が小学生高学年の頃でしょうか。

当時から「自然大好き!魚・釣り大好き!」で通っていた私で、よく友達を誘って釣りに行ったり、水辺のゴミを拾ったり、環境破壊する人がいかに悪か、友人に説いたりしていました。

「環境意識が高い系の自分」を誇りに思っていました。


1月ごろ、電車で泉南の漁港に友人3名とカレイ釣りに行きました。

先行者に、いかにも素行の悪そうな若者数名が入っていました。

テントの前に焚火をし、騒がしく飲酒もしていたように思います。

皆で「マナーの悪い奴だ」と白い目を向けつつ、少し離れた場所で私達も釣りを始めました。

 

午前中の時合はあまり芳しくなく、友人に1枚ずつ釣果があったことを覚えています。

午後の時合で私にもアタリはあるだろう...少し焦る気持ちもありましたがいつもの事です。

 

冬のカレイ釣りは荒天との闘いです。

甘く見ていました。

午前中は天気に恵まれましたが、次第に雨雪混じりの強風が吹き始めました。

友人は道具やゴミを放置し、足早に遠くへ避難しました。

吹き飛ばされる餌や釣具のパッケージ。

私は風で飛ばされるビニール袋を追い掛けていました。
全部集めていると避難なんて考えられませんでした。

冷たい
辛い
寂しい
かじかむ指。
みぞれに濡れる上着や帽子

ゴミを放置した情けない友人と同じく、全て捨て置こうか。

打ちひしがれた気持ちの最中、声が掛かりました。

 

「ボク、エライなぁ。雨強なってきたしこっちおいでや」

見上げると先行者の若者でした。

声を掛けてくれたその笑顔を見た時、喉の奥に苦しくつっかえた色んな感情が粉砕し、嗚咽と共に溢れました。


タバコで曇った、騒がしいテントの中。

甘くないコーヒーを頂き、鼻を赤くしながら小さい脳みそで考えました。

漁港で焚火なんて非常識だ。

でも彼らは悪い人ではない。

彼らが本当に悪人なら私の事なんて放っておいたハズ。

彼らは釣りや水辺について知らないことが多かっただけ。

彼らは想像力が少し足りなかっただけ。

それはゴミを風で飛ばしてしまった私も同じ。

何なら彼らに偏見を向け、状況に甘んじて逃げ出そうとしたナチュラリスト気取りの私こそ恥ずかしい。

幼い頭の中でそう思いました。

 

あれから20年くらいたった今、当時を振り返り、今は確信しています。

全ての人に良心がある。

それは色んな理由で十分に発揮できなかったり、間違った出力をしたりする事もある。

ゴミを放置してしまう人も、魚を堤防に投げ捨てる人も、心のバケツが満たされたらその良心はきっと水辺に向けてくれるハズ。

人の一部の悪い部分を切り取って、

「正義の自分」「悪の他者」と分断して叩く事は絶対間違っている。

世界に悪者はいないし、ヒーローも必要ない。

必要なのは思いやりの連鎖でしかない。

 

だから私は人を愛する言葉で水辺をよくしようと思いました。

水辺を傷つけてしまったあの人も、その良心を発揮する時には、水辺にとって好ましい選択を取れるハズ。

そう信じてこれからも

「愛に溢れた言葉」

「気付き、考え、幸福を選択する為のツール」

を発信します。