PHILOSO-FISH ふじいの釣りと哲学

関西を拠点とした釣りの記録と、釣りを哲学・心理学・倫理の観点で捉えた考察を紹介します。

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釣りと資本主義

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皆様は今まで釣りにいくらお金を掛けましたか?

 

釣りに何時間費やしましたか?

キロカロリー消費しましたか?

これを読んでいる方は、

きっと膨大な資源・資本・エネルギーを釣りに注いできたでしょう。

 

その結果、ボウズは無くなりましたか?

初心者には決して負けない釣果が出るようになりましたか?

立入禁止場所で釣りをするようなアングラーより魚は釣れますか?

きっとこれを読んでいる方は、そうではないことも理解しているでしょう。

 

ステラを所有しているからとて、魚が釣れるわけではない。

ライフジャケットを着ているからとて、完全に安全ではない。

ゴミを拾ったとて、慈悲があるわけではない。

釣りを愛する成熟したアングラーは一定の理解をしていると思います。

この理解の有無が、水辺への影響と表れています。

詳しく解説しましょう。

資本主義の理解

まず、現代社会の構造から紐解きます。

世界は貨幣経済といって、

お金とモノ・サービスを自由・平等に交換する社会です。

そのお金を得るために、労働・時間と交換します。

これらを利用しない日はありません。

対価を払っているのにモノを得られなかったり、

お金を支払われなかったりすると、それは不当なものと扱われます。

交換を前提とする関係を「市場原理」とします。

  • 労働をする代わりに、給料をもらう。
  • 家事をする代わりに、稼いできてもらう。
  • 税金を払う代わりに、安心安全を保障してもらう。
  • 私が常識の範疇にいるから、他の人も常識の範疇に収まるのは当然。
  • 私が節制しているから、他の人も慎むのは当たり前。

このような考え方です。

釣りと市場原理

しかしながら冒頭の通り、釣りは私たちの持つ全ての物と交換で、

それと等しい対価を得られることができません。

これを理解せず、市場原理で釣りに挑み、

満足が得られないととどのような感情になるでしょうか。

  • 釣り具を買ってやったのだから、ゴミの放置くらい当然の権利だ!
  • 高い道具を買ったのに...不良品だ!
  • こんな長時間拘束...不当な扱いだ!

「自然相手だから」

頭ではわかっていてもこの感情自体を完全に否定できる人は、

少ないのではないでしょうか。

 

「自分はこんなにやったのに。支払ったのに。」

その攻撃の矢先が、釣り業界や他の釣り人に向けばまだマシです。

しかし、人は弱いものを、すなわち水辺を攻撃します。

物言わぬ自然に対して、

「ちょっとくらいいいだろう」

「これくらいしてもバチはあたらないだろう」

と搾取的な態度をとります。

市場原理においての釣りと言う行為が、

常に自然を破壊し続ける原因は、ここにあります。

成熟したアングラーとは

皆様は、釣りで思った結果が出なかったとき、何を思いますか?

釣り人における成熟とは、

釣りは時にはこちらの入力通りに結果が出ないことを理解し、

それすらも楽しむことです。

  • 釣れなくても、ゴミを一つ拾う水辺への思いやりを誇る事。
  • 魚をバラしてしまったけど、アタリがあったことを喜ぶ事。
  • 地元の方に笑顔で挨拶でき、清々しい気分になれた事。
  • 厳寒や灼熱を肌で感じ、それを気持ちよく思う事。
  • お気に入りの釣り道具を見つめて思いを焦がす事。
  • 言うことを聞かない我が子を釣りに連れていき、小魚を掴んではしゃぐ様子を眺めてほほ笑む事。

全て、心地よいものです。

成熟したアングラーはこれらを通じて、

水辺や水辺を取り巻く社会と一体となります。

その一体感を見つけるたび、

時に興奮を覚え、時に心地よいと感じます。

こんなにも沢山の物を、私たちの捉え方次第で得られています。

成熟したアングラーは目に見えるリターンを期待し、

釣りに行っているわけではありません。

釣果はあくまで副産物です。

釣果に拘りすぎると、この一体感に気付かず、

水辺からの隔絶を感じ、ひいては水辺に優しくすることができません。

釣りは、成果を得るための手段ではなく、

自ら働きかける事でその心地よさを感じる遊びです。

これを理解していることこそが、成熟したアングラーです。

釣りの入門

さて、釣りの性質を理解したうえで、現代の市場原理ではコレをどう学ぶ事ができるのでしょうか。

私たちが釣りの情報を集めようとするとき。

  • このルアーが一番釣れる!
  • 入手困難!今買わないと手に入りません!

これらのフレーズを目にしないことは絶対にありえません。

そうしないことには、商売ができないからです。

これ自体は否定しません。

本当にいいものを作り続けることは、

私たちの釣りをよりスムーズにしてくれます。

 

問題は、受け取り手側です。

価値は交換できるものであると信じて疑わない現代人の心中、

本人にも無意識の中で、その対価を水辺に求めてしまいます。

市場原理では

「このルアー、釣れないかもしれないけどゴミは捨てないでね」

と声高に言うことができません。

釣りが理不尽な自然と向き合う厳しさである事を、

釣り業界は教えることができません。

未熟な釣り人もわざわざしんどい思いをして、

自ら学ぼうとしません。

釣り業界は、私たちの役には立ちますが、

水辺の役に立つことは多くありません。

釣りとは、与える遊び

釣りの本質を結論付けます。

 

釣りとは、

こちらが能動的に働きかけ、

こちらが水辺を気にかけ、

こちらが愛し、

こちらが与える事でその一体感を得、

そこに居場所を求める遊びである。

 

見返りを求める市場原理のサービス的なものではありません。

そして、成熟したアングラーたちが釣りの未来を守っていく根源を示しましょう。

釣りを続けさせてもらう為にゴミ拾いやあいさつをするのではなく、

それらをすべて内包して初めて釣りと言う行為であることを、

これからの釣り人に示しましょう。

釣れる事、釣りをさせてもらう事だけに意味がある釣りに、

そもそも釣りに行く意味などありません。

釣れないこと、釣りができない事にも意味を見出せるようになったら、

釣り人としての成熟と言えるのではないでしょうか。